和田の本棚(2021. 1 №39)

 

和田の本棚

和田の書棚から「気になった一冊」をとりあげて紹介いたします。

著者:本郷陽二

発行所:PHPビジネス新書

2012年12月4日第1刷発行

定価:840円(税別)

<本紹介>

渋沢栄一氏は生涯に約500社の企業に関わり、約600の教育機関・社会公共事業に携わった。そのような偉業をなぜ成し遂げることができたのか?それが彼が遺した「信念を貫いた言葉」に表れている。渋沢栄一氏が人生・仕事について語った名言を厳選し、1冊にまとめたビジネスパーソンの羅針盤となる本。

<気になった言葉>

◎「中庸というとつまらない人のように思われるが、ささいなことが起きる度に悲観や楽観を繰り返しているほうがよほどつまらない。しかも物事の本質を見誤ってしまう。中庸な考えを持っているからこそ、遠くまで見通すことができるのである」(45P後ろから3L~)

〇「精神修養をおそろかにして詰め込み主義の教育を行うため、学生は自分の才能をわきまえず…寺子屋時代の教育はきわめて簡単なもので、教科書といっても四書五経…程度しかなかった。だが、そのぶん自分の得意な分野を伸ばすことになり、一〇〇人のなかから一人の秀才が生まれた」(87P1L~)

〇「どんなに騒いでも力の及ばない点はどうすることもできない。しかしだからといってすべてを天命に任せて『棚からぼた餅』を狙うのはこのうえなく愚かなこと…大切なのは『人事を尽くして天命を待つ』という心がけで日々勉強に励み、自らの未来を開拓していくことである」(145P8L~)

〇「人に使われる者が最も大切にしなければならないのは、主人に『この人物をなるべく永く使いたい』と思わせることである。だから用事をたくさん言いつけられるというのはとてもよいこと」(207P後ろから5L~)

…は中途略を表わします

 

[感想]

本書の最後の章のテーマは〝「正しい商売」を語る―商いにも道徳あり〟であった。「欲深い人ほど悪い誘いには弱く、無欲な人ほど正義の上に立つと強いものである」とし、「最後に笑うのは、真っ当な手順を踏んで人の上に立った者なのである」と結ばれている。「人のために少しでも役に立ちたい」という利他の心が「ビジネス社会での真の成功者」を生んだ。「正しい観」と人への情愛こそが自身の強さを生み、味方を増やし、そして共に栄えていかれる。

1931年に91歳で没した氏の言葉は今でも全く色あせていない。「大学生の就職難の原因は…」など、現在を見越していたような言葉さえ随所に出てくることにも驚く。和田がよく「師と仲間をもとう」と言うのも、「正しい観」を持ち、それをさらに磨き続けるために必要なことだろうし、「王道」の言葉を連ねすぎているように感じる人もいるかもしれないが、人としての生き方にもやはり「原理原則」がある。今こそ、こうした言葉を素直に心に響かせてみてもいいと思う。

 

[和田のコメント]

間もなく渋沢栄一はお札になり、おそらく私たちはほぼ毎日、顔を見ることになる。江戸時代から明治維新の激動期の近代化の中で日本に「資本主義の仕組み」を導入し、500の会社のみならず、一橋大学、日本女子大、聖路加国際病院、東京慈恵医院(現・東京慈恵会医科大学付属病院)など学校や病院の設立に尽力しながら、何一つ自分のモノ、一族のモノにしなかった。そうしたことから今日までも渋沢が偉人として尊敬され、学びの対象となっているのだと思う。

だから大佛次郎の「激流」、城山三郎の「雄気堂々」などの小説にまでなったのだろう。

そして次の話しが渋沢の人柄、大きさを物語っている。

第一次大戦後、不況になって生活困窮者が続出し、慈善事業団体が渋沢邸を訪ねて「国家として法律を定め、早く予算を出して欲しい」と陳情した。

渋沢は病床にあったが「老いぼれの身であるが、お役に立ちましょう」と、その場で大蔵大臣と内務大臣に連絡した。「こちらから出向きます」と言う大臣に渋沢は「頼むのだから、こちらから出掛けるのが筋」と「もし倒れても、多くの人が助かるなら本望」と家族や侍医も止めたが、車ででかけたという。

「国家のためとあれば、やむを得ない」「まず公共のことから処理したくなるのが私の性格」という渋沢の言葉に見られるように、常に「全体のことを第一」と考える。

今、このコロナ禍で渋沢だったらどう対処するのだろうか?常に「私」のことより「公」のことを優先させた発想が求められる〝今〟である。