和田の本棚(2021. 3 №41)

 

和田の本棚

和田の書棚から「気になった一冊」をとりあげて紹介いたします。

著者:小野田町枝

発行所:清流出版

2002年9月6日第1刷発行

定価:1600円(税別)

<本紹介>

ルバング島でたった一人戦い続けた元陸軍少尉・小野田寛郎さん(2014年、91歳でご逝去)と出逢い、ブラジルでは牧場経営、日本では青少年の健全育成のため小野田自然塾を小野田寛郎さんと共に創設、活動を続けてこられた小野田町枝さんが「小野田寛郎とブラジルに命をかけた30年」の足跡を記した本。

<気になった言葉>

〇ある日、偶然出会った夫とともに闘いながら、四半世紀以上が過ぎた。…たくさんの人々に出会い、支えられて、私の人生は偶然から必然に、夢から現実に変わったのである(12P後ろから3L~)

〇話に熱中するにつれ、何故か彼は目にいっぱいの涙を浮かべていた。…「あなたのような能力のある方は、こんな辺鄙なところに住む人ではない。僕にはもったいない人です」「もったいないのは私のほうです」(22P後ろから7L~)

〇人は苦しみ、どん底に落ちた時、いかに這い上がるか、人間として正しく生き抜く心の開拓はむずかしいものである。…私はいつも美しい心と醜い心との間で闘いながら生きてきたように思う(190P後ろから7L~)

〇彼にしてみれば、戦場に散った戦友の祀られている神社を国家が護持もせず、祭礼に困っていると聞いて奉納したまでのこと、自分は生きて帰ってこられたのだから、お金はもらわずとも自分で道を開けばよいと考えたのだ(197P2L~)

◎「自分が正しいと信じて行ったことが達成できたからです。そのために心身ともに鍛錬され、自分の限度を知り自信も得ました。だから53歳からブラジルに渡って牧場も開拓できたのです」…彼は静かに続けた。「目的を達したことが最大の『幸』で、戦闘のために失った戦友二人を彼らの帰りを待つ家庭に返せなかったことが上級者としての最大の『不幸』でした」(228P6L~)

…は中途略を表わします

[感想]

フィリピンの山奥で30年間戦い続けた「小野田少尉帰国」のニュースをテレビで見ていた町枝さん。その二人が導かれるように出逢う。互いの存在を得て完結する人生が本当にあるんだ!と思いながら読み進めた。「私は長い空白の期間を経て、やっと人生の『戦友』をつかまえた」と語る小野田寛郎さんの取材記事の引用の後、町枝さんは「あなたに会えてよかった。でも私は本当にあなたの戦友になれたかしら?」という文章でこの本をしめくくる。

「7年間は無収入」というブラジル奥地(ヘビが家の中に入ってくるし、電気すら通っていなかった)での過酷な牧場開拓に飛び込んでいき、「あなたの空白を埋めるためなら、自分の命を捨ててもいいと思った」という情熱もその度量の大きさも全て私には想像すらつかない。

牧場開拓の資金繰りから、開拓のための労働、従業員の扱いなど、苦労を重ねながら、牧場をつくり上げ、町枝さんは「30年間、夫を守ってくれてありがとう」とジャングルに感謝する。世間の誹謗中傷や無理解の方がよほど魑魅魍魎であったのかなと思う。

自分の意見をことあるごとに主張しすぎるくらい主張してきた町枝さんは「そのために失敗し、損をすることも多かった」というが、「彼は一度も私を責めたことはなく、慰めてくれた。いつもそばにいて大きな愛で私を包んでくれた」とある。獣になってもおかしくないような環境下で30年も生きてきた小野田寛郎さんと彼を支える町枝さんのお二人のなんて素敵なこと!

単なる「心地よさ」を「幸せ」と勘違いしていなかったかな、人が生きるということ、人と生きていくということの上で本当の「幸せ」って何だろうと改めて考えさせてくれました。

[和田のコメント]

私の父親と同世代の小野田さんは父と同様、無意味な太平洋戦争にかり立てられ出兵した方である。そして戦後、30年も日本の終戦、戦後復興、高度成長も知らず、ルパング島にたてこもった。奇跡の帰国をされたのは1974年、50歳を越えていた。

その時、私はまだ30代、テレビのニュースでその姿を拝見し、それ以来「侍・小野田寛郎」は私の心のヒーローになった。その小野田さんと小野田さんが70代後半の頃、私は羽田空港のラウンジで隣り合わせになった。奥様の町枝さんとご一緒であった。私は無礼を承知で声をかけ、挨拶をさせていただいた。そして2009年、和田塾でも話しをしていただいた。

それがご縁で小野田夫妻とは、その後、度々お会いさせていただき、会食などをさせていただきました。町枝さんはいつも明るく楽しい方でした。まさに本のタイトルのように戦友のごときであり、小野田さんにとってはなくてはならない存在であったと思います。

私は一つの後悔があります。それは「一度、ブラジルの牧場に来ませんか?」と誘っていただいたのに、決断しなかったことです。

小野田寛郎さんという、凡人では考えられないような生き方をされた方を伴侶に選び、そして共に生きたお二人に万歳です!!

※私に届いたお二人からのハガキ