今月の学び(2021.3 №40)

長寿企業 ▪ 家栄える法-その㉒ 江戸時代の最強のイノベーター「三井高利の商法」

江戸幕府の誕生は「商売」ばかりでなく芸術や文化などが次から次へと生まれた時代でもある。平和というのは常に「新しいモノ」を生むものだ。経済は急速に活性化して発展し、全国の物産の交流が進み、商売が活発化し、消費生活の向上は一般庶民にまで及ぶようになった。

そして、この時代に山形の紅花商人、近江の近江商人、富山の薬売り商人、伊勢商人などが生まれ、一つの勢力として確立された。

彼らの商売の対象は大名ではなく、経済の発展によって新しく誕生した一般町民であった。そこでの経済原則は「市場における競争」である。そうした中で生まれたのが「商人の知恵」であり、社会から認められる「正直な商売のあり方」であった。そのバックボーンの一つになったのがこのシリーズでも書いてきた石門心学の祖、石田梅岩が説いた「商人道」である。

中でも伊勢商人の代表的商人、三井家の元祖で、江戸で開店したばかりの越後屋(後の三越百貨店)の三井高利(1622-1692)は商人としてのスーパースターであり、イノベーターであった。

高利は今までとは全く異なる販売手法を展開して人々の注目を集めた。その代表的な商売の仕方は次のようなものである。


1.現金掛値なし

越後屋では看板に「現金、廉価、掛値なし」と展示した。その頃、呉服などは掛け売りが当たり前で盆暮れ払いであり、時には貸し倒れすることも多かった

。そこで高利が導入したのが「現金、値引きなし」である。これで金利負担もなくなり、現金商売をすることによって、値段も安くできるようになった。

これには多くの商人ばかりでなく町民も度肝を抜かれたという。「安心、安全の提供」する商法でお客さんの心を捉まえたのである。

2.一人一色の専門性

越後屋では「一人一色の役目」という制度をとった。つまり羽二重などの商品別に専任の手代をおき、商品の品質管理の徹底や仕入れ先の選別などが専門的に行われるようにして、お客さんの安心感を得たのである。

3.反物の切り売り

当時、大きな呉服店では反物は一反単位で販売していたため「手ぬぐい一本分の布が欲しい」というお客さんには応えられなかった。その慣習を破り、どんな端切れでも販売できるようにお客さんの要望に応えた。今でいう「お客さん満足の向上」の実践である。

4.イージーオーダーの導入

越後屋では多くの細工人を雇い、お好みに応じ、その場で仕立て直しをしたり、急ぎの客には待ってもらっている間に仕立てるなど、今でいう「イージーオーダー」の導入をした。これも「お客さんの満足度」を高めたのである。

 

等々が越後屋発展の源となったイノベーションである。この商法をマネる商人が多くでた。それによってまさに「市場主義原理」が働き、競争が一段と進み、優勝劣敗という厳しい一面も出て、中には競争に負けて看板を下ろす店も出てきた。そんな状況を生んだ先駆者・三井高利は「最強のイノベーター」であった