今月の学び(2021.4 №41)

長寿企業 ▪ 家栄える法-その㉓ 家栄える法の第一は「家訓」に有り

江戸時代に「商人」が誕生し、その商人が藩の御用商人としてではなく、一般大衆=町民を相手した商売を確立したことは前回書いた。それは「市場の競争」を生んだが、勝ち残り、繁栄する店と倒産し看板を下ろす店を生んだ。

特に元禄時代に消費経済が花開いて消費ブームを生み、そしてその後に厳しい環境になる。

それは徳川吉宗が行った「享保の改革」のためである。この改革は江戸三大改革の一つであり、後の「寛政の改革」や「天保の改革」の手本になったともいわれている。

享保の改革は幕府の財政再建が主目的であった。その為に年貢を増やし、米価を調整するなどして再建を進めた。様々な改革に手をつけた結果、財政は一時は持ち直したが、重税や厳しい倹約令によって農民や町民の不満がつのり、一揆の回数も享保年間で177回も起きている。

これは「商品経済が成長してきている世の中で米による増収には限界があった」からである。つまり「商品経済とはモノとモノとをお金を媒介にして交換しあい、お互いに足りないものを補いあって暮らしを豊かにしようという考え方」のことであり、そこに「商人の存在」があったのである。

この「享保の改革」によって商家の倒産が相次いだ。その様子を石田梅岩は「斉家論」で次の様に伝えている。

「旦那名寄せ帳をみれば、三、四十年前まで京都、大阪にて大金持ちといわれたかくれなき商人も往方しれゆ者あり。身上衰え自炊して暮らすもあり。十軒に七、八軒はかくのごとし」

つまり、10軒のうち7、8軒がつぶれるという大不況になった。

その時に生き残った商家は商売の怖さを痛感したのである。

今日、伝わっている江戸時代の家憲、家訓の大半はこの時代に始まっているといわれている。

新興商人の創業者たちは、この状況をみて、自己の責任で決断し、己を律し、行動し、財を蓄えて、異常時に備えなければ瞬時に商家は倒産してしてしまうという新しい時代の自立の厳しさを痛感したのである。

これは今のコロナ禍のような突然、得体のしれないウィルスが世界中にまん延し、経済がストップし、生活者が行動変容を起こしている今でも同じ大事な考え方である。

そのために商人は苦労して、家憲、家訓を残し、代々に守るように伝承したのである。日本に長寿企業が多い理由は様々なものがあるが、この「商売確立期と変革期」に家訓をつくり、商家経営のあるべき姿を書きとめ、その実行を子々孫々まで伝えた功績は大きい。

江戸から明治にその地位を確立した現代の三大財閥である三井、住友、三菱の繁栄と存続の柱になったのも、それぞれの家の「家憲、家訓」がつくられ、それが今も遵守されているからであることを忘れてはならない。

次のことは皆さんにも見直して頂きたいことである。それは

「何のために経営をするのか」
「何を守って経営をするのか」

の二つである。