幸せな社長のFlow days 第78回 「勘違いの年賀状」

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様、お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか?

子供の頃とお正月と過ごし方はだいぶ変化したのではないでしょうか?

 

私の母は理容師をしていたので、年末から正月にかけて大忙しでした。

昭和の時代、年末までになんとかきれいさっぱりしたい、しなくてはいけないという風習が根強く残っていた気がします。

自宅兼店舗に、大晦日には近所の方が駆け込みでやってきました。

私は母に頼まれて弟の面倒を見ながら、仏頂面で耳かきを粗品と書かれた袋に詰め込みながら日本レコード大賞を横目で見ていました。一番やりたくなかったのが、石油ストーブの灯油を入れるために外にいくことでした。(笑)

母の仕事が終わるのが10時近く、それから母は餅つき機でおもちをついてのしもちを作り、おせちを作っていました。夜遅くできたてのおもちを納豆や大根にからめて食べました。

朝起きると枕元には、真新しい洋服が一式揃えてあり、腕を通すのが何より楽しみでした。

働き者の母だったと今ごろになって気づいたりします。

 

社会人になってから「勘違いの年賀状」の思い出があります。

船井総研時代、年明けに新しい部署に異動することになりました。話したことのないちょっと強面の上司、とりあえず年賀状を出さなくてはいけない、「まだ自信がありませんが、よろしくお願いします」と特に意味もなく書き添えました。

仕事初めの日、上司の秘書が私に言いました。

「Aさんが、応接室で待っているので行ってください」

「え、何でですか?」

「関根さん、自信がないって書いたでしょう?そのことみたいです」

冷たい感じの美人秘書の声がさらに冷たく聞こえました。

えー!!全然そんな、軽い意味で書いただけなんです。美人秘書に言うことでもできませんでした。私は、重い足取りで応接室に行きました。

「関根です。よろしくお願いします」

神妙な面持ちで入っていきました。

「君、自信ないの?」

上司は開口一番言いました。

「え、ええ‥‥‥」

(深い意味はないんです。書くこともなかったので、ただ適当に書いたんです。すいません)

「あのね、僕も自信がないの」

「はあ……」

(顧問先に1回行くと何十万円の上司が自信がないって、どういうこと?)

「自信がないから一生懸命にやるの。それしかないでしょう?ね」

「は、はあ……。はい」

私は驚いて間の抜けた返事をしました。

「がんばります」

私は、頭を下げて応接室を出ました。ほんのわずかな時間でした。

応接室を出る時は、なぜかわからないけれど、そうか「自信がないからがんばるんだな」ということを知り、急に明るい未来が開けた気になりました。

たった一言書いた文章を見逃さないAさんはすごいなと改めて思ったのと、休みがほぼないAさんから毎年元旦に宛名から文面からすべて筆で書いた年賀状が届くのが驚きでした。いったいいつ書いているのだろうとみんなで噂をしたものです。誰か別の人が書いているんじゃないか?と。

しかし、現在もすべて手書きの年賀状をいただくので本当に書かれていたのです。(笑)

勘違いの年賀状の件以来、出張先にかばん持ちで同行させてくれるようになりました。

分厚いテキストを準備するAさんに、なぜこんなに分厚いのか尋ねると、早く終わったら困るからと、何かあった時のために準備を怠らない姿勢や、時には先代の社長と二代目社長の親子喧嘩の仲裁の場面に遭遇したり(笑)、お客様とご一緒の時のメニューの頼み方から何から多くのことを学びました。

「君が能力不足でクレームが来たときには、僕がいきます。その代わり、時間厳守、出張先からの3回の電話連絡は必ずするように」

などとことあるごとに教わりました。

 

今は、仕事先や勉強会に部下を同行させる方も減りました。コロナでお客様のところへ行くのも難しい状況でしょう。

忙しく、日々の仕事に追われてしまいますが、仕事に向かう姿勢を見せること、考え方をことあるごとに語ること、それらのことを「伝える時間と場をあえて作ること」が、会社の将来に大きく影響するのではないかと考えています。コミュニケーションが何より大切です。

社員の皆さんの年賀状にはなんと書かれていましたでしょうか?

そして、上司からの手書きのメッセージは何よりの宝物になります。和田も筆まめなのは、皆様もご存知かと思います。

 

昨年末、毎年行っている「舩井幸雄記念館」へ行きました。展示物にあった「大将のいましめ」をこちらに載せさせていただきます。

惚れさせる!につきますね。