和田の本棚(2022.2 №52)
和田の本棚 和田の書棚から「気になった一冊」をとりあげて紹介いたします。 |
著者:塩沼亮潤
発行所:致知出版社 2009年7月31日第1刷発行 定価:1400円(税別) |
<本紹介>
48キロもの山道を一日16時間かけて年間4か月、9年がかりで歩き続ける荒行「大峯千日回峰行」は1300年という長い歴史のなかで、著者を含めていまだ2人の満行者しか出ていない。
「どんなときでも謙虚で素直な心をもち、
“正しく生きる”という姿勢で、一歩前に踏み出し、
人生を歩み続けていると必ず道は開けます」
厳しい行の模様が書かれた前作『人生生涯小僧のこころ』より、より実践的となっており、謙虚で素直な心であり続けるための教えが綴られている。
<気になった言葉>
〇努力をする人と努力をしない人の差は、目標があるかないかということです(42P後ろから6L~)
〇努力をしていない人というのは完全燃焼していませんので、ガスがたまっていきます。人生の不完全燃焼は、やがて努力して結果を出している人を見ると妬みの心に変わります(105P後ろから6L~)
〇「幸せだ」と思えば、常に心が満たされています。人と比べて上を見ればきりがありません。結局は自分がどうとらえるかどうかなのです。その心が本当の幸せにさらに一歩近づくことになります(106P後ろから4L~)
◎人生の流れの本流にのって逆らわず、また物事の本質を見極め、欲を出さず、悪いことをせずに、どんなときでも感謝をして生きる。そうすると本流ではない流れに流されず、自然な流れのままに人生を歩むことができるようになる。これを運が開くというのではないでしょうか(161P後ろから5L~)
※…は中途略を表わします
[感想]
人間にはその人それぞれがもつ変え難い気質のようなものがあるし、生まれ育った環境や人間関係もある。それでも「あの時、あんなことをしなければ…」とか反対に「あの時、ああしていれば…」とか思うより、今、この瞬間いる場所で、これから何をどう努力していくかしかない。
それでも抗って傷ついて反省してそして懲りずにまたやってしまったりするのが人間。そんな経験も自分にとって必要なものだったのだろう…。そんなことに気づくまでにずいぶんかかってしまった。
何が自分の本流なのだろう、何をすべきなのだろうと目を凝らして過ごしていく中で得られるものがあるし、「幸せは自分の心がつくりだすもの」ということを思い知るために生きていくのではないかと本を読み進むうちに思えてきた。
「憂えているうちは、幸せはおとずれない。また人生はそんなに憂えるほど悪いものではない」(本文106Pより)し、素直に今、そばにいる人たちに「有難い」という気持ちをもって接していけること、それが幸せになるための道ではないかと思う。
[和田のコメント]
大阿闍梨にご縁をいただいてから既に15年は経つ。それ以来、幾度となく会い、何回か仙台・秋保の慈眼寺の護摩炊きにも伺った。
初めて会った時の言葉で残っていること
- テレビで比叡山の千日回峰行をされた酒井阿闍梨の姿を見て、自分もこれをするんだという運命と使命を感じた
- 修行僧はたまたま自ら選んだ山の行をするが、一般の人も誰でもそれぞれに〝道〟を求め、時に行じ、またそれぞれの人生の中でツマヅキ、起き上がる、そんな中で学び、その体験を元に日常の心の在り方を見つめ直すのだ
- 最後の山を下りる時に一番感じたことは大自然の偉大さと「ここで生かされているのだ!」ということ。そのために〝感謝〟と〝素直〟を一歩ずつ唱えながら謙虚な気持ちで下りた
そして、千日回峰行よりさらに肉体的、精神的に厳しかったのは食べない、飲まない、寝ない、横にならない(これを9日間貫く)という「四無行」だということもおっしゃっていた。
厳しい修行の体験から、実に分かりやすく平易な言葉で生き方を教えてくれる本である。