2021年1月18日の日経ビジネスの特集は「ユニクロ」だった。中でも特集の焦点は創業者の柳井さんの「考え方、生き方」に当てられていた。
日経ビジネスは毎号、「編集長の視点」というコラムがあり、私はそれに目を通すようにしている。編集長が特集に毎号、どんな考え、想いをもっているかを知ることができるからである。
今回は次のようなことが書かれていた。
「ユニクロは失われた30年で、日本で最も成長した会社である。柳井さんは日本一の富豪になった。しがない会社員である編集長も柳井さんも、若い頃は似たようなもので、柳井さんも自分も衰退する地方で生まれ、高校を卒業して上京、同じ大学、学部、学科で学んだ(しかし、編集長曰く『学んでいない。ろくに学校に行かず、雀荘に入り浸る日々、出来れば仕事もしたくない』と思っていた)ところまでは共通していた」
編集長は大学卒業後すぐ日本経済新聞社に入るわけであるが、柳井さんは卒業後も職に就かずブラブラ。親のすすめでジャスコ(現イオン)に入社したが、やる気スイッチが入らず1年もたたずに辞めてしまう。情熱に満ちあふれる今の柳井さんからは想像もできない。
日経の後輩記者が今号のために山口県小郡の創業の地の写真を撮りに行った。そこは空き地になっていた。この地からユニクロは世界に展開したのである。その写真を見ると「よくぞ、ここから」とため息が出る。
柳井さんは「僕に出来たんだから、誰にでも出来る」と言う。
大学を出て50年のこの期間の生き方は、しがない会社員(編集長)である自分と柳井さんとでは何に差があったのか?
編集長は「見つけた!」と書いている。「読者の皆さんもそれぞれ見つけることがあると思う特集だ」と言っている。
その特集の中でのポイントを私なりにまとめて書いてみるので参考にして欲しい。
ユニクロの事はまさに1995年頃から注目をしていた。特に「SPA型企業」が90年代半ば頃から小売業界で言われはじめ「その代表がユニクロである」と小売りジャーナリストは言っていた。
「S」とは「スペシャリティー・ストア」、「P」は「リテーラー・オブ・プライベート」、「A」は「レーベル・アパレル」の頭文字で、「自社ブランドを販売するアパレル専門店」であり、「製造小売業」とも呼ばれた業態である。
当時、米国カジュアル専門店のGAPは世界一の専門店チェーンだった。その頃、GAPの背中を見た柳井さんが「遠いなぁ~」とみたか「いや、いつか追いつくぞ」と思ったかは分からないが、既に数年前にGAPを抜き、2021年の現在、世界首位も見えてきている。
一方、GAPは苦しみ、もがいている。
直近の売上ではインデックス(ZARA)とH&Mの2強とほぼ肩を並べるところまできている。ユニクロの売り上げはこの30年で400倍までになった(2021 年8月期の連結業績は売上収益2兆 2,000 億円を見込む。店舗数は2020年11月末現在で3681店)。株式の時価総額は約9.7兆円、日本企業で6位になり、5位のNTTを間もなく抜くまでにきている。
この数字だけでもいかにユニクロが成長してきたかがわかる。そして当面は中国、アジアを主戦場としていくロードマップを描いている。この特集でどんなことを柳井さんが考えているか、ポイントは次のようである。
というのがインタビューの骨子であった。確かに柳井さんも色々なことをトライして失敗してきている。しかし、それは過去オール善として、それを教訓にして強い信念を築き上げてきた。
GAFAと比べたら時価総額は比べものにならないし、あまり意味もない。それより「いい会社をつくりたい。正しい経営をやり続けることだ」という強い意志を感じた。
柳井さんも71歳になった。心身ともに元気でいられる時間は限られている。元気なうちに「〝正しい経営〟の理念を世界中の13万人の従業員に伝えるのが仕事だ」と言い聞かせているようにも感じる。つまり、柳井さん自身が自分の人生時間との勝負をしているようにも思える。
私は売り上げが2兆円を超えたユニクロであろうと、1億円の売り上げの会社であろうと、「経営者が〝良い会社〟〝生き残れる会社〟をつくる」のは同じだと思っている。
日本には約6000万もの世帯数がある。その世帯の箪笥の中には一つはユニクロの製品があると言われている。まさに国民服になっている。
柳井さんは歴史に残る経営者になるだろう。