10月半ばに50年ぶりに黒部ダムに行った。黒部ダムは1956年(昭和31年)に着工し、1963年(昭和38年)に完成した。関西電力の中興の祖と言われた太田垣士郎氏の指揮の下、171人の殉職者を出し、7年の歳月をかけた。それだけ難工事の水力発電専用のダムであった。
長野県と富山県にまたがる北アルプスの下にトンネルを掘り、資材を運ぶ道路を造った。今はこの道路は電気トロリーバスを走らせ、観光用に使っている。
戦後10年のまだ復興期にこのダムの工事は始まった。当時、関西地方の電力事情が悪く、常に停電をしていたからだという。太田垣社長はこの電力不足を解消するには、黒部川のこの人の行くこと自体が困難で命がけだったこの秘境の地でのダムしか関西の電力を賄えることはできないと決断し、資本金の3倍(最終的には5倍)の総工費で臨んだ。
その後、国民的スターの石原裕次郎が自ら独立プロをつくり、自らの全財産をなげうって、この一大事業を映画にしたのが「黒部の太陽」である。黒部ダムはその後、人気の観光スポットになった。
私自身も社会人になったばかりの時に黒部ダムを訪れた。そして再び、社会人として50年間働いてきた歴史の時間の経過の中で黒部ダムを訪れて、自らの半生を振り返り、感慨無量であった。改めて「志とは、社会性、会社の存在、技術力の大事さ、人の命、観光力、近代化における電力の重み」など、先人の努力と叡智に感動した黒部行だった。
既に2,300m辺りは紅葉真っ盛りだった。機会があれば、是非、一度は訪れる価値があると思いますので、お薦めします。